推しは導かない神様【少し変わった救済の形】
こんにちは、kashiです。
今回のお話は、私の思想がちょっぴり強めの内容になります。
気持ちが先走りした文章になっているかもしれませんが、ご了承ください。
では、内容に入りましょう。
今回のテーマはずばり、
推し
です。画面の前の皆さんも愛してやまない推しがいる方が多いのではないでしょうか。
ちなみに、私にも推しがいます。アニメ ワッチャプリマジ!の甘瓜みるきちゃんです。良ければ調べてみてください。
まあそれはさておき、今回は先程も書いた通り、推しについて「私の」価値観を書いていきます。
何卒お付き合い下さい。
【推しは完成された生き物】
私の思う"推し"の魅力は「完成されたところ」にあります。
これは完璧であるとか、人がいいとか出来がいいとかそういう話ではありません。
推しは、「推しらしい」ところしか見せないのです。
"推し"という生き物は、芯が通っていて揺るぎません。心境の変化や意外な一面の露呈があったとしても作り上げられたキャラクター性は変わらず、その人はその人のままでいてくれます。
むしろ、私は大きく揺らいでしまうものを"推し"として見ることはできません。
だってそれが彼ら(彼女ら)が推されるに値する"価値"であり"コンテンツ力"だから。
本来特定の人、ものが恋愛も友情も絡まない理由で執着されるのは異常なことなのです。それだけ、オタクにとって"推し"というものには価値があります。
彼ら(彼女ら)は変わりません。いかなる時も、あなたがどう行動しようとです。
では、なぜそれが魅力と感じるのでしょうか?
【不完全なものは怖い】
多くの場合、私たちを取り巻く環境や人々は不安定です。
ちょっとしたことで自分の状況は変化し、人の心も空模様のように移ろいます。
もちろん変化しない環境や人間関係もありますが、それを保つには多くの努力が必要になってきます。
これは嘆くようなことでもなく、当たり前のことです。この世は諸行無常、なんて言いますからね。
そして、多くの場合この不安定さは私たちに恐怖やストレスを覚えさせます。
それもそう。変わるものに着いていくには自分自身も変わらなければいけない。信じてたものや大好きだったものが変わってしまうこともある。しんどくないわけがありません。
そこで"変わらないもの"として現れてくれるのが"推し"です。
彼らは私たちがなんの手を施さずとも変わることはありません。推しは"絶対"なんです。
常に不安定なものに囲まれた私たちにとって、それは大きな救いではないでしょうか?
推しとは、大きな救いを与える私たちの「神様」なのです。
【推しは私たちを導かない】
では神様と推しの違いは何か?それは、"導かない"という点です。
神様とか宗教のふわふわしたイメージって、神様の思想に沿って生きる~みたいな感じじゃありませんか?それが推しには無いんです。
つまり、推しは私たちに救いっぽいものこそ与えますが私たちを幸せに導いたりなんてことはしないわけです。
ただ、恐怖やストレスから一時の間離れさせてくれるわけですね。要は努力せずとも手に入るチープな救いなわけです。
果たしてそれは本当に救済なのか?という話は、ここでするには少し重すぎる気がします。
ただ、推しのことを考える瞬間、私たちはどうしようもなく救われてしまうわけです。
以上が、私の推しに関する価値観です。
推しは導かない神様。推しは私たちに何も言いません。ただただ、救済なのです。
今回のブログは私の意見を正当化することは何も考えていないので、かなり自己完結された意見に映ったかもしれません。
推し方も推しに対する価値観も人それぞれです。それは私が定めるべきものではありません。
あなたは推しと、もとい神様とどう向き合うのでしょうか。
kashi