世界観の時間
世界が思ったより濃い味をしていないことに気づいてしまい、退屈で仕方ないです。
濃い味の世界観を統一するのは環境?それとも自分の趣味嗜好の一貫性でしょうか。
はたまた、趣味嗜好の一貫性が環境を変えるのか。そんなに単純ですかね?単純かもしれないですね。
なんにしても、そこには辿り着けていないようです。いま退屈で仕方ないのですから。辿り着けている人間がいるかはわかりませんし、存在するかもわからない彼らが幸せかもわかりませんが。
それらへの葛藤を忘れる時間、世界観の時間。それが今です。日もすっかり落ちたベランダに出て好きな音楽でも聞きましょう。
世界観の外側にいる人間が笑っていることを危惧する必要はありません。ここは私の王国です。
思考を止めるな
あたしが何かを持っていると証明できるものは、もう文章と動き続ける思考だけで、それすらも止めてしまったら本当に見てられない塊になってしまいますね^^;
この言葉すらも誰かを傷つけてしまうので、放ってはいけないらしいが、それは一体誰に許されるためのものなのでしょうか^^;許すってなんすか^^;お前は誰^^;
嬉しかったです 関心を持たれている可能性がそこにあることが 何考えてるかわかんないスけど
今日どうしたら眠れるかを考えてわからないまま朝日が昇ることを、特別だと勘違いしてしまう生活をあと何年続けられるのでしょうか。
2023.3.5 日記
他人はそんなに自分に興味は無いんだとお父さんが言っていたことを思い出した。
私が今抱えている悩みは面白みもなければ同情の余地もなくて、わざわざ理解しようとする人間がいないのは当たり前のことである。薄情でもなんでもない。
時間が解決すると言うけれど、解決されるまでの先の見えない不安はどうやり過ごせばいい?だって、どろどろした場所で足踏みをしていい状況でも無くなってしまった。
全部面倒だ。私が私であることで消えない数々の呪いを手懐ける気力がもう残っていない。
今日をやり過ごすだけのこともできる気がしないのに、世界の動くスピードがやたらと早いよ。
2023.3.4 日記
価値観なんてものは割とあっさり決まってしまうのだろうな、と思う。
それがまっすぐになるのもひん曲がるのも初期段階では割と簡単で、それを別の形に変えるのは相当難しいと言う。つくづく不便な脳みその作りをしていると思った。
ただ、我々は中途半端に賢明で 周囲の価値観が持つ形との相違は嫌なほど目に映るらしい。
周囲の価値観に形を寄せる努力をする必要は無いと思うが、やはり多数派が強い世界なので面倒な生き方を覚悟することくらいは必要だろうなと痛切に実感した。
2023.3.3 日記
いつも統一されたものに憧れて、そうでない自分を嫌っている。
全てが統一された人間なんてきっといないし、統一されて見える人間はなにかたくさんのものと戦っているんだろうな。それだけの覚悟が私には無いよ。
自分のことだけやけに悪く見えるのは異常なんかじゃないんだろうけど、もう少し生きやすい形にならないかな と全部嫌になったりするね。
1つのことに夢中になれないのは、色んなものを真面目に見つめすぎた代償だなと思う。極端なんだいつも。
自分なりの生き方が鮮明に見えてくるのはもう少し後かもな。焦っちゃいけないね~(泣)